落穂拾いに隠された意味
2024-08-11


山梨県立美術館には。ミレーの落穂拾いが飾られている。
 65歳以上は県民以外も入場無料なのだが、一見の価値がある。

 この絵を購入した際は税金の無駄遣いだと話題になったが、このような有名な美術品は価値が落ちることはないので、長期安定資産だと思えば高くはない。しかも、現金や株と違い、鑑賞する喜びもある。(お金の好きな人は貯金通帳や札束の鑑賞の方が嬉しいかもしれないので人それぞれかもしれないが、上品さでは絵画鑑賞にはかなわないだろう。)

 実は、ミレーの「落穂拾い」(英語ではThe Gleaner)は、二つあり、オルセー美術館にあるのが、教科書に出ている絵であり、山梨県立美術館にあるのはほぼ同じ構図の落穂拾いであるが、名前は「落穂拾い、夏」(英語ではThe Gleaner, summer)という。両方とも本物である。(山梨県立美術館にはミレーの「種をまく人」もある。これも本物である。)

 先日、訪れた際、我々は全くの素人なので説明を聞きたいと一言頼んだところ、以下のように二つの落穂拾いの絵に隠された意味を特別にボランティアの方が説明してくれた。

 その説明により、二つの落穂拾いを並べてみないとはっきりとはわからないかもしれない隠された意味があることが分かった。

 オルセー博物館の「落穂拾い」は有名だからある程度イメージできるであろう。

 遠くに三つの干し草の山があり、手前に三人の農婦がいて落穂を拾っている。

 この構図は、山梨県立美術館の「落穂拾い、夏」も基本的に同じである。 違いは、山梨県立美術館の「落穂拾い、夏」では、干し草の山(実は収穫したばかりの小麦の穂の山)と落穂拾いをしている農婦の距離が短く、すぐそばに見える。一方、オルセー美術館の落穂拾いでは視角が多少異なり、干し草の山までの距離が一キロぐらいに離れて見えることである。

 この暗示するところは、小麦の山は地主の収穫物であり富裕層を象徴し、落穂拾いの農婦は庶民を象徴しているということである。即ち、「落穂拾い、夏」の絵では富裕層と庶民が夏の収穫の際にはまじかに見えているが、実際にはオルセー美術館の「落穂拾い」の絵のように、秋のような厳しい季節になれば格差が大きいことが明らかになるーという身につまされるような真実が二つの絵でミレーが言いたかったことなのである。

 これが実感できるかどうか、可能であれば山梨県立美術館を訪れてほしい。(なお、説明ボランティアは常駐してはいないそうである。)
 
 オルセーの方は、教科書でもネットでもよく見られるので余裕のある方はパラリンピック見学を兼ねてパリを訪問されたら良い。(なお、昔フランスの美術館は週末は無料だったような気がするが今は分からない。)

 話は変わるが、モスクワの美術館はすべて入場無料で説明ボランティアもおり、写真撮り放題だった、文化レベルの差なのか政治レベルの差なのか現在では確認できないのが残念である。
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