日本を除くG7が長崎市がイスラエルを記念式典に呼ばなかったことを政治的だと非難している。しかし、それは故なきことではないと思う。
先日ブログに書いたように、、広島に投下したLittleBoyが濃縮ウラン原爆でほぼ確実に爆発することが分かっていたのだが、ウラン濃縮は時間と費用が膨大にかかる。一方、長崎に投下したFatmanはプルトニウム原爆なので濃縮の手間がいらないが、自発核分裂するプルトニウム-240の混合が避けられないので、不完全爆発の可能性が排除できない。
当時の米国の対ソ連戦略としては、両者を日本で実験し、できればプルトニウム型の技術を確立しておきたい。そこで、広島に投下した後、日本国内の終戦の議論が深まらないうちに日にちを置かず長崎にプルトニウム原爆を投下したと見られるのである。
これは一部ではよく議論されているが、本当であれば、長崎のほうが、広島よりもより人道に反する投下だと思う。トルーマン大統領のこの判断は、自国を冷戦で有利にするために、長崎の人々を犠牲にしたのである。
その米国が潜在的核保有国であるイスラエルを基本的に支援しているのだから、長崎市がロシア同様、式典に呼ばなかったのは故なきことではない。(報道では、イスラエルが参加することで式典の安全性に影響するという理由ではあるが。)
米国は、長崎市を非難する前に、イスラエルの核開発保有について明確にする義務がある。これをあいまいにしたまま、イランの核開発疑惑のみを理由にイランに経済制裁を加えているのも一貫性のない外交である。
広島・長崎の原爆被害の調査を戦後いち早く開始したのは米国のABCC(原爆障害調査委員会)であり、その後身が広島にある放影研(放射線影響研究所)である。ABCCの設立目的は米ソの冷戦前に、プルトニウム原爆を使用した際の、自国兵士への影響を長崎原爆を用いて調査することにあったのである。
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さらに、放影研が原爆の線源データを米国側に一任し、いい加減なデータのまま、ICRP、日本の被ばく制限基準に反映させているのは昨日、一昨日の本ブログに書いたとおりである。
このような米国の所業を受けている長崎市が潜在的核保有国と言われているイスラエルを記念式典に招待しなかったとしても非難する気にはなれない。
これが真の理由なら、わかるが、パレスチナ代表は招き、イスラエルは招かなかったらしい。これでは政治的意図があったと疑われても仕方ない。政治にはバランスが重要だ。
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