消費することが生きがいであって何が悪い!
2022-05-29


生きがいには2種類ある。

 (1)自分が好きなもの、好きなことをやること。
 (2)他者が求めるもの、求められるものをやること。

(1)は簡単そうだが、(2)は何を他人が求めているのか簡単には分からない。
 しかし、消費するというのはどうだろう。お金は誰もが求めるものであるので、消費することでお金をだれかに渡すということは正々堂々と生きがいにしていいはずである。
 それが無駄遣いだろうが、環境に負荷をかけようが(経済活動、人間活動はすべからく環境を利用している、環境の維持に活動が寄与しているという言辞は、相対的に環境負荷が小さくなるという言い訳ともいえる)他者のためになるはずである。
 だが、消費を生きがいにしているということを公言するのは、日本の平均的価値観から離れているようだ。
 それはなぜだろうか。
 
 儒教的労働観から働くことが当然であり、労働や勉強のためだけに消費することが許される価値観が世間にまん延している。
 ある知り合いは、長年公務員として勤め上げたので子息も当然働くべきであり、働かない限り、遊び消費することを許さないのである。
 それが昭和の父親の価値観であろう。

 しかし、リーマンショック後の日本では、効率的な労働者のみが求められ、不要とみなされる労働者は増加の一途である。このような傾向は、生きがいを失った人々の増加による病的社会傾向となって、社会的な大きな負担と損失に結びついている。

 これを解決するには消費は労働しなくても可能なのであり、効率的に消費することを社会的な価値あることとして認める風潮を広げるのが一番である。

 私も胸を張っておおいに浪費しよう。後ろめたく思う必要はない、価値のある生きがいなのである。

 ただ、生きがいとなるには各自が心から満足し、社会への負担を減らす方向になるはずである。
 賭け事を心から自分の生きがいだと公言している人を聞いたことがないが、それは賭け事で心から満足し、真の喜びをえることがないからだろう。
[健康]
[私家版心理学]

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