伊達政宗は弟を討たなかった!
2024-02-21


二つの伊達政宗関係の本がある。
(1)小林清治氏の人物叢書「伊達政宗」(吉川弘文館、1985年)
(2)佐藤憲一氏の歴史新書「素顔の伊達政宗」(洋泉社、2012年)

(1)の人物叢書では、江戸時代に伊達藩が公式記録としてまとめた貞山公治家記録の記述に沿って、政宗が弟の小次郎を手打ちしたことになっている。信長や信玄、謙信、家康などが身内を粛清したのと同様、戦国武将は身内すら敵になるという思い込みのストーリーに沿っている。それが戦国武将の武士道ということらしい。

しかし、(2)の歴史新書では、貞山公治家記録での不自然さに疑問を持ち、独自に調査して、政宗に反発した小次郎は、政宗と母義姫の計らいにより、出家し、その後武蔵五日市の大悲願寺で住職の法印秀雄になったのが事実だと記載されており、それを裏付ける寺の関係書簡まで明記している。
 
歴史認識とは時代により変わるということで、事件の後、1985年よりも2012年のほうが、より真実に近づくことができた例である。

身近なところでは、警察官の思い込みのストーリーで発生した冤罪事件が、その後のDNA鑑定技術などの科学技術の進歩により、捜査内容が覆されてより真実に近づくことになった例に似ていると言えよう。

これらは、歴史も、犯罪捜査も、分かりやすいストーリーにしたがった方が大衆受けはするのだろうが、真実は別のところにあったという話になる。
[私家版歴史]
[私家版心理学]

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