心理的環境と物質の相互作用とコロナ自粛生活
2021-08-30


精神疾患の発症、悪化には心理的環境が影響するという。
ここでは、心理的な環境とは家族を含む他人からの主として心理的な圧力(暴言、ネグレクト、等)により、平静な心理的な状態を保てない環境と定義する。
 それがなぜ、脳神経系の異常に繋がるのか。脳神経系とは物質から構成されているはずである。それが言葉など、抽象的な信号により影響されて物理的な存在が変化するということなのか。
 笑いが心の薬だとか、孤独が心の病の元だとかいう話は直感的にも自覚的にもよくわかるし、よく聞く話である。
 しかし、そのようにして発症した精神疾患が、薬により治療できるというのである。或いは純粋に物理的な刺激である電気通電で治療できるというのである。
 これは単純化すれば、言葉という抽象的な概念が、脳内の物理的な構成を変質させて、正常でない状態まで変質できるが、正常に戻すのに、薬という物理的存在が利用できるということである。
 どうも、どちらかがおかしいという気がする。
 こんなことを考えるのはこのところの自粛生活で精神的に病んでいるのであろうか。

 だが、もう少し冷静に考えるに、心理的な環境変化がなぜ脳の正常な働きを阻害するのだろうか。それは、本当に心理的なものなのか。
 例えば、収容所での長期収容で精神的におかしくなるというのはナチス収容所や旧ソ連などで聞いたことがある。最近のコロナによる自粛生活でもかなり精神的な悪影響があるようで、家庭内のトラブルが増えていると聞く。
 このような拘禁的生活は、実は、肉体的、物理的に動きがなく、刺激もなく、ストレスもないという状態なので、それが身体の内部環境(様々な新陳代謝、ホルモン分泌など)の不調を生じ、脳の健全性を維持するために必要な体内物質の生産の異常に繋がっているということなのではないだろうか。
 笑いが精神の健康によいというのも、笑うことによる肉体的変化(緊張緩和や呼吸活性化)が新陳代謝を促進することで、脳神経系に対する栄養補給をスムーズにしているのではないだろうか。

 だが、このような物質論ですべてを説明するのも味気ない。
 心理的な環境で、脳の健康が損なわれるのであれば、逆に、精神病を、心理的な環境の変化でも治療できるのではないか。昔ながらの祈祷師や宗教修行でもなんとかなるのではないかと希望を持ってしまう。

 精神疾患にも様々なレベルがあるであろうが、一部の認知症を除き、観測可能な脳の変化はないようである。様々な肉体的な運動、刺激がによって、脳の健康が維持できるというのはありがたいことである。
 心理的に劣悪な環境であっても、肉体的に新陳代謝を正常に維持できるような状況をなんとか作り上げて、精神的な健康を維持することが今可能な自粛生活対策であろう。

 ただ、運動し過ぎで、逆に脳への影響が不足して精神的な不調をきたしている例も多くみられる。何事もほどほどに心の命ずるままに運動と休養のバランスをとることが重要である。
 このバランスを自分でとれなくなってしまうのも精神疾患の症状であるのだから、一時的な投薬治療も仕方がないことかもしれない。これも身体的な疾患と同様である。
[健康]
[私家版物理]

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